この歌は中央大学の学生歌となっているものと、歌詞のごく一部を除けば、殆ど同じです。
しかし、小林旭の手にかかると、新たな命を吹き込まれて、この歌は全く別の歌となり私たちの前に現れます。
彼の世界に、朗々と響くハイトーンをしみじみと味わってください。
遙か昔に過ぎ去った『青春』が胸の中に蘇ってくることでしょう。
一つだけ気になる箇所は「流る水を眺むれば」の部分の詩です。
このように漢字交じりの歌詞として目から味わう分には 何ら問題はありませんが、朗読したり、このように声に出して歌ったり、耳から入ってくると、「naga ruru mizu wo naga mure ba 」となり、同じ音(naga)が近くで重なり耳に触り、文豪「島崎藤村」の詩にしてはお粗末な印象を受けます。原詩(「若菜集」高楼)ではすべてひらがなですから、作者は気が付いていた筈で、「切なさの強調」など何らかの意図があったに違いありません。