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ダミア 「暗い日曜日」

※訳詞は故・塚本邦雄氏(歌人)によるものです。

塚本邦雄 『増補改訂版 薔薇色のゴリラ』 より:
「あまりにも有名、あまりにも個性的、あまりにも通俗的、そして私自身ダミアを聴き過ぎた。「暗い日曜日」はレコードを二、三枚買った覚えがある。一枚は耗(す)り切れた。一枚は割れた。現在残った一枚は、LPに入ったのを聴くので放ったらかし、黴が生えている。手入れをする気もしない。しかしずっしり重いこの78回転モノラル盤を掌上にする時、感慨は深い。極論すれば、昭和初年から十年代のシャンソンはこれ一曲に尽きるのかも知れない。かつまたダミア一代の歌にしたところで、とどの詰りこの一曲がすべてを語り、それがすなわち彼女の栄光でもあろう。ハンガリア産の放送禁止曲、自殺流行のためなどと、江戸末期の新内節も鼻白むような原曲由来はさておき、あるいは考慮に入れても、曲そのものはロシア民謡まがいの恐ろしくぶっきらぼうなそして暗い調子と旋律、いくら何でもこれだけで人は殺せまい。(中略)ダミアの咽喉から後頭部を周って鼻に抜けるバスがかったアルトで、ぐいぐい抉るように歌われると、たちまちその辺にどす黒い空気が立ちこめ、黴と屍の臭いが漂い出す。(中略)最初の sombre dimanche から既にただごとではない。鼻にかかるので、「ソンブル」が「オンブル」に響く。s が抜けても暗黒(オンブル)、亡霊(オンブル)、招かぬ客(オンブル)、不吉なことに変わりはない。
Je suis entrée dans notre chambre le cœur las
(私はうらぶれた心で部屋に戻って来た)
この一行の歌い方が傑作だ。「ジュシュイザン・トゥレダンノ・トゥルシャンブル・ルクール・ラ」、迫真的、あたかも喘ぎ喘ぎ安アパートの階段をのろのろと上って行く趣は、聴く方の息が苦しくなる。
En écoutant hurler la plainte des frimas
(木枯しの叫びを聞きながら)
第一節終行もまた同じ、さらぬだに鼻にかかる声はここで一段と強調され、「濃霧」(フリマ)の ma は耳に突き抜けながらぼうぼうと尾を引き、消えた一瞬止めの sombre dimanche が血の凝(こご)りさながらにどろりと置かれる。特に dimanche の di は、その血を躙(ふみにじ)るかに、ねじた発音だ。第二節瀕死の女の哀訴はこれでもかというように、執念深く追討ちをかける。最終行、一節の木枯しに相当するところは
Ils te diront que je t'aimais plus que ma vie
(私の命よりさらに貴方を愛していたと告げよう)
であり、ロシアはアフォンスキー合唱団の、歔欷(きょき)とも呪詛ともつかぬ濛々(もうもう)たる遠いコーラスが絡み、終り三行がダミアの声で繰り返され、そして終わる。(中略)自虐的な呪文をたたみかけ投げつけ、危(あやう)く他虐に転ずる頃に曲が消えるところ、また、そのためにダミアが身を揉み声を絞り、土壇場へ持ち込むあたり、ほとほと舌を巻くばかりだ。」


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